この頃はほとんど遠出をしていなくて、また山崎へ行った。有名なサントリーカーブとは反対側で名神高速交差の前後で撮影した。記録を見たら阪急の上牧駅へ行って、高槻~山崎間で桜を入れてカラー撮影。その後、9時頃から大山崎駅へ行き、阪急との並走区間へ行った。当時は線路際ならどこでも撮れていたのだなと思う。この年は桜の開花がかなり遅く、他にも年配のファンが2人来ていた。
東海道本線の103系が阪急京都線と並ぶ。
EF6015[広島]はヘッドライトがシールドビーム2灯化されている。その後高崎二に転属した。
ヘッドマーク無しの「日本海4号」は京都発が10:04。この列車は時間帯がいいのでよく撮られていた。すべてのブルートレインにヘッドマークが復活するのは1985年からである。
これは九州からの急行の回送で、「雲仙・西海」だと思う。新大阪から向日町まで
回送になる。この頃の九州急行は14系モノクラスで後部に荷物車を連結していた。
一往復の北陸急行「ゆのくに」1502Mは金沢発大阪行きで京都は10:54に発車する。
阪急京都線の電車とすれ違う「雷鳥」。
上り荷物列車が通過。まだ桜が咲いている。
汚いEF65132[岡山]の団結号。まだこんな事やっていたのか。
赤い新快速が上りで通過したので、その返しを待っていた。そのためにこの場所で粘っていたのだが、光線は正面光になっていた。
名神の先で阪急と国鉄は離れる。国鉄の下り線は光線が正面になったので、場所を変えて阪急の写真も撮っていた。
阪急の京都線から国鉄線を撮る。下りのEF66の他に117系新快速と急行「立山」がすれ違う。左奥にはサントリービールの工場がある。
クモヤ91の先導で583系と485系の試運転。まだ旧型国電も活躍していた。
EF5899[宮原]の牽く上り臨時列車。名神クロスで下り回送電車と離合する。この頃はすでにEF58の引退が始まっていてEF58の牽く臨時列車の写真も雑誌に載るようになっていた。EF5899はその後、竜華に転属し、阪和線や紀勢本線で使われるようになる。
北陸貨物もEF81に牽かれて吹田や梅田まで来るようになっていた。
今朝は目が覚めてスマホ見たら4:46でした。何かあったかな。毎日早朝からパソコンに向かっています。新しい3Tのハードディスクは古いマックに使えず、新しいウインドウズにつないで撮影データを移しています。まだ年末年始のまとめ作業が終わっていませんが、ようやくネガのスキャナーも再開できました。
コメント
コメント一覧 (3)
nainen66
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にぶろく様 この頃よりも、もっと前の方がいいと思いますが。今の鉄道でも探せば面白いのもあります。
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