大井川鉄道の次は大井川を渡って島田の東海パルプへ行った。そこも1975年の夏から目をつけていた所である。工場の入口付近にいた汽車製と日車製のスイッチャーが撮れた。さらにそれ以外にもいることはわかっていたが、ここは深入りもせず、少し戻って東海道本線の貨物列車を撮りに菊川~金谷の大カーブへ行った。その場所はかつての友田信号場跡であり、蒸機時代には重量貨物列車を駅間で休ませて、旅客列車を先行させるようになっていた所である。
そのための余分な空き地があり、そこで一夜を明かすことにした。
東海パルプのDB258は汽車製の新しい25トンスイッチャー。
東海パルプの線路北側の工場内。入口付近で撮影させてもらえた。日車の25トン機と共に、待機していた。
汽車製スイッチャーは人気があるが、後期の作である。整備は川崎まで運ばれるようである。運転は大河原運送が請けている。
DB257は日車製25トン機。こちらは専用線ファンにはあまり人気が無かった。この工場は他に三菱製25トン機も使っていて、メーカーを分散していた。
DB257がワムを連結して待機。
EH107[吹田二]の牽く上り貨物列車。EH10の廃車はすでに始まっていて、7号機も1981年12/26に廃車となる。
EF6569[稲沢二]の牽く下り貨物列車が大カーブを通過。
EF5811[東京]の牽く上り臨時列車が友田信号場跡を通過。建物は無いがトイレだけ残っていた。ここに信号機もある。
かなり長編成の14系の臨時列車。回送かもしれないが、当時はこのような列車もよく運転されていた。
EF60102[浜松]の牽く下り貨物列車。
EF58155[浜松]の牽く下り荷物列車。
EF581[浜松]の牽く下り荷物列車。浜松区のEF58廃車はすでに始まっていたが、ファーストナンバーは1984年1/12に廃車となる。
夕暮れになってEF6017[浜松]の牽くEF64構体回送が友田信号場跡を通過。それを牽くEF60もその後高崎二区へ転属になる。
岡本の川重宇都宮工場で作ったEF64-1000の構体を兵庫工場へ運ぶ。上越線に配置される新型機の登場で旧型電機の淘汰が進められた。EF641001の新製は1980-7/3で、その後増備が続いた。
コメント
コメント一覧 (4)
nainen66
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DB257,258,DB-5撮影。
協三のDB-5は、結構奥の方にいた様な。
当日 結構フリーパスだった記憶です。
nainen66
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モビリオ様 行かれていましたか。簡単に入れた記憶はありますが、奥の方まではいきませんでした。協三機も撮りたかったです。三菱のDB256が一番撮られていないようです。電車の中からは撮っているのですが。
nainen66
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やはり…でしたか。
早期発見でよかったのではないでしょうか。
お大事に。
nainen66
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