歴史は官設鉄道の京都~稲荷から始まる。その後奈良鉄道から関西鉄道を経て明治40年に国有化された。非電化単線の時代が続き、京都~奈良間では近鉄に大きく差がついたが、今は複線化も進んで乗客数は伸びている。電化は1984年である。
関西に住んでいてもあまり関心の無い線区だが、宇治のユニチカにスイッチャーがいたので撮りに行った。日立の35トン機で躍進号というが、駅には出てこなかった。その他、桃山駅で移動機を撮っているが、周囲の風景は撮っていない。歴史的には軍事施設が多く、謎も多い。天理教の臨時列車が走るルートでもあり、国鉄末期には注目を浴びた。しかし、撮りに行くのは玉水~棚倉間の方ポール区間ばかりだった。
桃山駅には10トン移動機がいたが、機番をチェックして証拠写真を撮っただけで終わっている。もっと周囲の情景を撮っておけばよかった。
宇治にはユニチカがあり貨物が発着していた。ここも最初は火薬工場だったと思う。貨物輸送も最末期だったと思う。
ジョイフルトレインとして早く登場した白樺は長野方面から信者を運んできたようだ。これは早朝に到着したのが戻ってきた。
この頃の天理臨はやたらと本数が多かった。DE10も牽いていたが、重連とかは無い。
キハ58系の長編成も走っていた。
京都に戻る列車はサイドから遠景で撮影。
国鉄最後の記念列車もここで撮っている。
DD51牽引の14系客車で運転された天理臨時。この頃にはほとんど人気は無かった。
奈良線に登場した105系。
奈良線の電化は1984年10/1で、その直後に撮りに行っていた。天井川の煉瓦トンネルが歴史を語る。電化当初から民営化後にかけて105系が使われていた。
関西線の赤ライン113系も使われる。
非電化時代のキハ35。この日も天理臨の日で、雪が降ってきた。
補遺
国鉄高砂線の補足。山陽新幹線との交差部を撮っていた。
山陽鉄道 兵庫工場か。貨物ヤードの南西端に古い車庫が確認できる。特徴があるのは屋根の谷を埋める防火壁で、それを俯瞰した写真は本稿に掲載されている。
踏切防護協力員について にも新発見の画像があった。西守具踏切の工事中に全景を撮っていた。この付近の建物はほとんど変わっているが、道路は古いまま残っている。
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nainen66
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