万国博の輸送手段として阪急と大阪府の出資で地下鉄御堂筋線の延長で1970年に開業した。開業時は現千里中央駅の少し手前から東側に進み、万国博中央口駅まで走っていたが、万国博終了後は先端部が廃止になり、北側へ伸びて、現在の千里中央駅が1970-9/14に開業した。新駅周辺は千里ニュータウンとして大阪への通勤客を運ぶ鉄道となる。
正式には江坂~千里中央駅間が南北線であり、1975年には緑地公園駅が開業している。開業当初の姿は知らない。万博にはそれ程興味なかったし、阪急の万博西口から行った。北大阪急行の駅は撮っていない。その後も北大阪急行の電車にはあまり興味は無かったが、沿線には割と近い大学に通うようになる。1974年に関西の電車を記録するようになり、初期の2000系は撮影しているが、その後も興味の対象にはならなかった。
千里ニュータウンの足になった北大阪急行の2000系。大阪市交通局の30形に相当するが内装はシートがモケット張りになっている。
阪急京都線と連絡する西中島南方駅に止まる千里中央行きの2000系。
千里中央行きが発車。大阪市の30系とすれちがった。
2000系のカラー。帯の太さが変わっている。
桃山台駅の周辺もマンションばかり。万博コンパニオンの寮も賃貸住宅になっている。車庫はこの駅の南側から西へ分岐した先にある。
1986年の6月末に会社を辞めて、最初の仕事が地下鉄の撮影だった。それで北大阪急行もたくさん撮っている。
桃山台の先まで行くと歩道橋から撮れる場所がある。この付近までずっと新御堂筋の中間を走っている。この先でトンネルに入り、カーブの先に千里中央駅がある。
1986年には冷房車の8000系ポールスターが登場した。地下鉄区間の本町駅で撮影。
クリーム色の明るい車体が目立っていた。
8000系は前面展望も良かった。江坂から先は北大阪急行の運転手に交代する。
桃山台駅のホーム端から撮った8000系ポールスター。行先はまだあびこ行きである。
桃山台駅に停車中の8000系ポールスター。
8000系の登場で2000系の廃車も始まり、1993年に全車が廃車になる。ステンレス車としては短命で、冷房改造を受けないまま引退した。
地下鉄の取材では撮影地が少なくて苦労した。南向きだが西中島南方駅から淀川の鉄橋側も撮影できた。
2000系トップ編成も撮っている。
8000系トップ編成。逆光側の編成写真。あびこは我孫子が正式名。1987年4/18に我孫子~中百舌鳥間が延伸開業。南海高野線ともつながった。
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