スイッチャーは守山駅から始め、草津線の三雲駅で移動機を撮り、その先で亀山へ行った。それから関西本線に沿って富田まで行った。これまでに行ったことがある駅ばかり行ったことになる。
加佐登駅は1976年にも行っているが、その時使われていた加藤の凸型が予備機になっていて、代わりに日立の25トン三軸ロッド式がいた。これは日通四日市支店W-1-94のようだ。
それから塩浜へ行く。専用線の一番先が石原産業でB6がいた工場になる。ここは日車25トン機がいた。さらに四日市港駅へ行き、日通のNo7という日立25トン機が撮れた。まだ可動橋の先には行っていない。
加佐登駅の北側側線に加藤の10トン機がいた。1976年に初めて来た時には、ここに鋳物台枠機がいた。左の貨物ホームには台秤やネコ車が見える。
加佐登駅の貨物ヤードには日立製25トン三軸機がいた。これは塗装の透かし読みで四日市からきたのだとわかる。防爆仕様のようだ。駅の南側には日本コンクリートの工場もあり、ここにナローDLがいたと知るのはまだ先のことである。
かつてB6(2412)が活躍していた専用線で、ドイツ ハノーバー製だった。僚機のS108号機はうちからも近い本山の小寄公園で保存されている。ニチユの15トン機で無煙化されたが、その後日車の25トン機が使われていた。
塩浜のヤードにはDD51が来ていた。こちらは国鉄の四日市駅から分岐する貨物支線の終点になり、隣には近鉄名古屋線の塩浜駅がある。
四日市港駅に行くと、タンク車のトップナンバーがいた。貨車はたくさんあるので、トップしか撮る気しなかった。オクタノール専用の30tタンク車で製造数は6両。
四日市港駅舎の近くに止まっていた日通のNo7 日立25トン機。排気管は化成品をたくさん扱う四日市ならではの形状である。
四日市港の日通機は運河の手前で使われていた。この先に平面クロスがある。
パラフィン専用のタキ6150もここにいた。タキ11000と同型で4両作られた。根岸駅常備で新興~四日市港間で使われた。
南四日市の山九 日車25トンセミセンターキャブ。この側線は割と最近まで使われていた。
山九のニチユ8トン機は2両配置だった。
南四日市駅にはスイッチャーがいっぱいいた。駅の近くに化学工場がいくつもあった。
タキ1150 かなり汚れているが、トップナンバーだけは撮っていた。
このカローラで東京まで行った。まだフェンダーミラーである。機械式変速器だった。
元信濃鉄道のボールドウィン・ウエスチングハウス製ED222は富田駅の入換え用だった。
近鉄のナローゲージ 内部線の電車も撮影。国道1号線に沿って走る、目立たない電車だった。
朝早くからツツジを撮影していました。撮影後に東海道本線は運転見合わせとなったようですが、すでに回復しています。土曜の朝もらくラクはりまの回送があります。ツツジは道端に咲いていて、いろいろな邪魔が入ります。昨日の昼は工事の車が止まっていて撮れませんでした。早朝でも障害はあります。道の真ん中を歩く人もいます。とにかく近所で工夫して撮るしかないでしょう。明日の近鉄お別れは走るのかな。
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nainen66
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