芳井鉱業所の後はまた伯備線に戻り、井倉駅へ行った。ここには以前20トン移動機がいたが、すでにいなくなっていた。駅の周辺には日鉄鉱業があるし、鉱山の雰囲気に溢れているが、どうも軌道は見つからない。保存されているD51838撮る。
次の石蟹駅には10トン移動機がいる。近くの三和工業に古い三菱製DLが放置されていた。これが小野田セメント新見工場で使われていたのだとわかる。
それから新見機関区へ行った。中国山地の要衝であり、高校時代から憧れの地だが、機関区へ行くのは初めてである。ランドハウスで岡山区所属のDD51撮る。無煙化しても輸送のシステムは変わっていない。機関区の職員がいるので、いきなり廃止にすることもできない。それでも伯備線の電化が1982年7/1だから、構内の電化工事も始まっていたし、電気車を扱う教育もおこなわれていると思う。当時はまだ貨物列車が多かったし、旅客列車も残されていた。
その後、東津山駅にも寄ったが、住友セメントのスイッチャーはすでに無くなっていた。以前に来た時も庫内にいて、撮影はできなかったことになる。
D51838は井倉洞の近くで保存されていた。伯備線のお別れ列車を牽いた機関車である。最後は浜田区に移って山陰本線で使われていた。
石蟹駅にはDD51の貨物列車が止まっていた。10トン移動機もいる。
180号線沿いの三和工業に小野田セメントで使われた三菱13トン機が残されていた。
三菱のスイッチャーは1953年製でかなり古い。ジャック軸駆動である。清水港線の巴川口にいたの[小野田セメント津久見・厚木]と同型である。
DD51783[岡山] 構内では電化工事が進んでいる。
ランドハウスにはDD511022[岡山]が休んでいた。
端っこで休んでいるのはDD51542[岡山]。
DD511017[岡山]が出庫。屋根がせり出している。
ターンテーブルに乗ったDD511017[岡山]。機関区としての機能は残されていたが、すでに機関車の配置はない。
ターンテーブルで転向する。
DD51783[岡山]も来ていた。伯備線にはDD51の重連貨物もあったが、当時は全く人気がなかった。
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