津山線は岡山から津山までの非電化ローカル線。そのルーツは中国鉄道で明治31年に開通している。その当時から使われていたような古い木造駅舎がいくつも残されて使われている。
国鉄時代にはC11が使われていたが、1971年に無煙化された。陰陽連絡の急行が走り、民営化後はキロハ連結の「砂丘」が特別色になり、私もその頃から訪問回数が増えてきた。
最近は駅撮影で訪ねているし、キハ40・47が主力で使われていて、人気線区になっている。
キハ47 19の快速ことぶきが発車を待つ。岡山駅では四国方面や伯備線の列車とも連絡していて活気に溢れている。
現在の位置にこの駅ができたのは明治41年。古い駅舎が残っているが、最近は減築された。かつては陸軍の引き込み線があった。
岡山行きのキハ40 2036+ が到着。ヘッドライトはLEDになっている。学生の利用が多く、広いホームが特徴である。
中国鉄道時代の昭和2年に開業し、国有化時に備前原駅に改称した。女子マラソン有村裕子の出身地で記念館がある。
たまがし駅は明治31年に開業。古い木造駅舎はかつての駅事務室部分が無くなったが、待合室は古いまま残されている。
玉柏駅の構内は高速化事業により一線スルーになり、交換施設が復活した。
牧山駅は大正元年に開業。駅舎側が2番線でこちらを主に使用する一線スルーになっている。
体質改善のキハ47が到着。一世を風靡したこの塗装も懐かしくなった。
野々口駅は開業時からの駅だが、1998年に新駅舎ができ、さらに今はもっと小さな駅舎になっている。
国鉄末期に棒線駅化されたが、津山線高速化事業で一線スルーの交換駅になった。
金川駅は2005年に新駅舎ができた。旧御津町の中心駅だったが、2005年に岡山市と合併した。
金川駅には砂利側線がある。
平行する旭川の蛇行をショートカットする小さな峠越えがある。快速ことぶきは沿線に縁起のいい駅名が多いことから命名された。急行「砂丘」の廃止後に急行「つやま」と共に運転を開始した。
以前はよく使われていたキハ120-300はもうほとんど使われなくなった。
建部駅は開業よりすこし遅れて明治33年に開業した。駅舎は国の登録有形文化財になり、2008年に駅舎保存整備工事が完成した。いまはもっと綺麗になっている。
整備工事前の駅舎。いまはここも岡山市である。
中国鉄道開業時と同じ明治31年に設置。
福渡駅は津山線で唯一の上下線が別れた駅である。
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