年度末になると深江の新明和で飛行艇の出入りが活発になり、よく撮りに行った。だんだんと動きが読めるようになり、撮影ポイントも増えていった。さらに同じ場所から東神戸港に発着するカーフェリーも撮っている。
新明和のPS-1は対潜哨戒機だが、すでに性能的には不足で、ロッキード事件により導入が遅れたP-3Cが導入されていた。US-1が見られたのはこの頃が末期であり、救難艇として改良されたUS-1に移行していた。こちらは機首や翼端などが赤く、滑走路に着陸もできる。絵本等にも使用できるので、いい条件で撮ろうと何度も通ったものである。
US-1はもう引退が迫っていた。5801は翌年に岩国で失速して墜落した。
PS-1は5823まで製造された。着水してソナーを吊り下げる方式はもう時代遅れだった。
新明和の構内を俯瞰する。
試験飛行から戻ってきたUS-1。
スロープを登って揚陸する。
我が愛車とカローラとUS-1。
ずらりとカーフェリーが並ぶ東神戸港。青木「おおぎ」のりばと呼ばれていた。
徳島航路のうらら丸が出航。かつて出張で乗ったことがある船である。
徳島航路のおとめ丸が出航。
加藤汽船の高松航路に使われる「こんぴら」が深江の岸壁に到着。
世界最大級の双胴船からジャンボフェリーと呼ばれることになる。
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nainen66
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