ちょうどSLブームだった1971年に南海高野線の中百舌鳥駅から泉ヶ丘駅までが開業した。新しく開発されたニュータウンへの鉄道である。その頃の鉄道への興味はSLや旧型電車とか特急等で、なんか全く面白くない鉄道ができたのだと思ったものである。
その後は阪和線や南海にはよく行くようになるが、泉北高速鉄道は新今宮駅で乗入電車を撮るくらいである。
その後は1990年代になって、私鉄も各社そろえる必要ができて撮るようになった。1990年からはVVVFの5000系も登場し、ようやく個性を表すようになった。
最初は非冷房だった。方向幕が無く、ヘッドライトが上部についていた。
雪の日の3000系。
1975年から登場した3000系は南海の6200系をベースに東急車両で作られた。
初のVVVF車になった5000系が登場。
堺市内陸部に開発された泉北ニュータウンを走る。100系は開業時から走り続けている。
100系も1983年から冷房化工事が始まった。1988年からは前面に方向幕取付工事が始まり、ヘッドライトも移設されて顔が変わる。
新しい100系の顔。
和泉地方の北部、堺市の南東部を貫く泉北高速鉄道は丘陵地帯を横切る川の部分が低く、アップダウンを繰り返す。線路の両側は府道が平行する。
撮影地は泉ヶ丘駅付近になる。
100系は2000年まで使われた。
許可を得て撮影。保育社カラーブックスの表紙撮影だった。
コメント
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泉北高速鉄道もそのひとうで、この9月に初めて乗りました。終点まで乗って、ラーメン食べて帰ってきました。
nainen66
がしました
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