最近送られてきた掲載誌。それを読んでいたら、タイトルの意味が分かる。もう何年も駅舎撮影は続けていて、JR西日本はコンプリート、さらにJR東海とJR四国もかなり進んでいる。
ところが、初期に撮った写真は画像が小さい。私の属しているIT企業で受け取ってもらえるのは、例えばピクセル数縦横の和が6800とかいう基準がある。2020年10月にEOS90Dを購入しているが、この機種ではM画像で基準をクリアする。それまでの機種ではLで撮らないといけないが、単に駅舎を撮るだけでLは使わなかった。毎月預けるデータの数も少なかったから、列車写真や風景写真を中心に預けていた。しかし、今はその数が増えてしまったので、駅舎写真をたくさん撮ることになる。しかも、早回りでたくさん撮っても駄目だ。グレードの高い写真が要求される。しかも単価は滅茶安いのに。
それで、ほとんどの駅舎は撮り直しになり、それを路線図に赤丸付けてチェックした。さらに駅の方向別にまとめたリストも作った。今後は、この資料を持ち歩いて撮影することになる。
実際のところ駅舎写真は売れ筋である。電車のアップも出るが、貨物とかマニアックな列車は売れない。注意するのは人の顔が写っていないことで、運転手もNG。かなり遠い歩行者もだめで、駅舎を撮る時は人のいない時にとることになるが、都会の駅では難しい。田舎の駅でも駅前で休んでいたり、スマホしている人がいたりして、泣きそうになる。車のナンバーはできるだけ入らないようにするが、ナンバーを消すことはできる。

蒸気機関車EX 後ろの方の見開きを見てください。

アップ済みの駅をチェックした。そういえば、こんな作業は若いころからやっていた。

駅舎の方向別リストを作成。これからは最良の条件でしか撮らない。時間はかかるが品質重視でいく。

宮田線は民営化後の1989年12/23に廃止された。バス路線に転換し、駅前にJR九州バスと西鉄バスのバス停がある。800メートル離れて宮田町駅(バス)があり、こちらが中心になる。宮田町では鉄道線との連絡切符も売っていて、そちらからアプローチもできた。

宮田線の開通は1902年で九州鉄道の貨物支線としてスタートした。宮田駅から桐野駅に改称し、1907年に国有化。1937年、桐野駅を筑前宮田駅に改称し、線名も宮田線になる。
1982年に貨物営業を廃止し、民営化後の1989年廃止。駅舎はすでに解体されている。

駅名標も残されていた。当時は鞍手郡宮田町、現在は旧若宮町と合併して宮若市になる。

廃止から1年半の状態。

筑前宮田駅から勝野方向を見る。この先の線路跡も残されている。

筑前宮田駅のホーム。このあたりはまだ残されているようで、線路跡は駐車場になっているのがわかる。

筑前宮田駅の南側は少し高台になっていて、そこから北の方を見る。遠方に六抗がある。

筑前宮田駅の貨物ヤード跡。右側にコンクリートのホッパーがあった。ここでコッペルやアルコが働いていた。

犬鳴川の橋梁跡。水道管?は残っている。後に線路跡に広い道路ができている。

専用線の橋梁跡。八木山川にかかるホーストリングワーレントラスがあった。大きなボタ山は切り崩されている。

磯光駅跡も残っていた。これが菅牟田貨物支線の分岐点である。その後、広い道路になって痕跡は残っていないようだ。
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