東北地方の最後は郡山駅で朝に撮影した。当時は磐越西線にED77、磐越東線ではDD51が使われていた。スイッチャーは専売公社の協三製10トン機を撮っただけだった。ここにはすでに情報があり、保土谷化学・日本石油輸送・日東紡績・松田製線といった側線があり、日東紡績には元羽後交通のDC1がいることもわかっていたが、探す余裕も無かった。
それから矢板~片岡で東北本線の列車を撮影した。それから氏家駅の住友セメントで日立製スイッチャーが撮れた。これは元磐城セメント四倉工場のDD102である。
さらに以前に行ったことのある岡本の専用線へ行く。すでに稼働していなくて、廃車の貨車が置いてあった。川崎重工の構内には協三の20号機20トン3軸がいて、フェンスの外から撮れた。高崎製紙は工場の手前で線路が切れていて、日立製TD3が除草剤タンクを従えて止まっていた。
日光線の鶴田駅にも行き、日通の日立製15トン機と放置状態の富士重工15トン機が撮れた。移動中には車の中から陸上自衛隊のヘリコプターが横切っていくのが撮れた。
その後、小山にも寄ったが収穫は無かった。その後、東京へ行き、神保町のエージェンシーを訪問。夜の東名高速を走って、金谷~菊川でマルヨする。
DD13324[郡山] DD13は各地で見られたが、1984年から稼働数は激減した。
ED778[福島] 磐越西線用のED77も現れた。
DD51の牽く旅客列車。時刻表によると磐越東線では小野新町発郡山行き1721レが7:38郡山に着く。
専売公社の日通では協三のロッド式10トン機が手前に止まっていたので撮影できた。
積み込みを待つダンボール箱にはサムタイムと書いてある。メンソールたばこの銘柄になる。煙草もワムで運んでいたのか。
ED771[福島] ED77はED75よりも軸重が軽く、磐越西線で使われた。所属は福島区だが、会津若松に常駐していた。その後、軌道強化によりED75入線が可能となって引退した。
DD51603[東新潟]+DD51606[郡山] 磐越東線では大越の住友セメントの田村工場があり、DD51重連貨物が運転されていた。
DD51606[郡山] バックに東北新幹線の高架がある。
東北本線の特急も撮っている。「やまばと2号」1032M上野行きが通過。黒磯発は10:37である。「やまばと」は上野~山形間で残っていたが、1985年3月に廃止された。
氏家駅の住友セメントには四ツ倉から移ってきたDD102がいた。2軸でDDとは違和感がある。四ツ倉では八茎鉱山からの鉱石を運ぶ玉山鉄道で使われたが、残念ながら行くことはなかった。
住友セメントなのに有蓋車ばかりだった。
氏家駅の移動機は009番。
岡本の川崎重工は歴史が古く、戦時中に車両の疎開に使われ、戦後は大宮工場の分工場になる。その後、汽車製造が使い、かつてが引き継いだ。協三の20号機は20トン機で、前歴は北海道開発局である。
当時は貨車の解体作業を進められていた。
製紙工場の手前には日立製TD3が止まっていた。専用線の犬走は生活道路になっていた。
除草剤散布用に残されていたTD3。日立製25トン3軸機で、この後は資材置き場で保管された後で「たこ焼花車」で保存。さらに「那賀川清流鉄道保存会」に移った。
軌道自転車もあった。
専用線は東北本線の岡本駅から続いていて、途中に川崎重工があった。線路沿いに自転車も走っていた。
専用線は工場の手前で終わっていた。それでも道路を横断していて信号機もある。後には横断歩道になった。製紙工場は高崎板紙からの歴史があり、ピッツバーグやハノーバーのSLがいた。高崎製紙の後は日光製紙になり、今は王子マテリアル日光工場になっている。
日光線の鶴田駅を再訪する。初回は1977年だった。日通の日立製15トン機がロッドを上下させて入換えに動いていた。
廃車? のキニ55が並んでいた。
感じのいいロッド式の日立製15トン機はまだ使われていた。その後、新前橋駅へ移った。
富士重工の自社製15トンスイッチャー。1977年に行った時には構内から出てきたが、この時は外に止めっぱなしのようだった。その後は日車製15トン機を使ったようだ。
富士重工の近くではヘリコプターが信号を渡るのに遭遇した。
コメント
コメント一覧 (2)
富士重工宇都宮製作所と、宇都宮飛行場を連絡する専用道路ですね。
存在は確認してましたが、航空機が通過する写真は初見です。
nainen66
が
しました
我が西宮市でも川崎航空機から飛行場まで専用道路で移動していたと思いますが、記録は残っていません。
nainen66
が
しました