今後進めるのはカラーポジのデジタル化になる。かなり前に買っていたペンタックスのフイルムデュープリケーターを使う。いざ始めようとすると問題が出てきてなかなか始まらない。

 そもそもペッタックスはどうなったのか。写真部門はリコーに買収されたのか。カメラメーカーも今はどうなっているのかよくわかっていない。しかし、装置の方はしっかりしている。カメラを前後上下に調整できる。

 最初にマクロレンズが故障していて、それに時間がかかった。結局中古を買うことになった。フイルムのホルダーがなかなかの曲者だった。スリーブならいいが、こちらのポジは全部バラバラに切られている。これでは穴に落ちてしまう。マウントアダプターなら問題ないが、フイルムの周囲は使えない。マウントの窓はフイルムサイズより小さくて、それでは満足できない。視野率100パーセントでぎりぎりまで使っているから。

 マウントで残っているのはハーフサイズだけだった。僕らの世代は初めて買ってもらったカメラがハーフの時代だった。それでカラーポジを撮っていた。フジカラーは凄い変色だった。自動カラー調整ではほとんどモノクロになる。それでもわずかに色目が残っているのもあった。50年以上前に撮った古いカラーは懐かしい。
d1967xxxx NAうずしお
今もよく撮っている夙川の風景。上りの181系「うずしお」が通過する。バックの風景もかなり変わっている。ここで最初に撮ったのは下り「はと」の記憶があるが、ポジは見つからなかった。

d1967xxxy 宝塚ファミリーランド
かなり変色が激しい。宝塚ファミリーランドは家からもよく行ったし、写真部の撮影会でも行っている。モノレールを撮っていたとはあまり記憶がない。

d19680000 阪急梅田
東海道本線の車窓から阪急電車を撮る。左側で新駅の建設が進んでいる。

d1968xxxx 神戸市電354
神戸市電を撮っているが、後で単車だったとわかった。どこで撮ったのかは不明である。

d19690300 DF50536生瀬
高校の入学を決めてから福知山線へ行った。当時の主力はDF50だった。スチームを上げて第一武庫川橋梁を渡る列車が撮影できた。

d19690802 布原D51三重連
一番の目当ては布原の三重連。高校一年夏休みの山陰旅行では初日に訪れた。メインカメラはミノルタの一眼レフだったが、画角が狭くて失敗。ハーフサイズの方が画角が広かったがピントはボケボケだった。

d19690802 布原SL列車
D51の牽く旅客列車がトンネルに入り、新見の方へ向かう。当時の対岸はびっしり木が茂っている。撮れるポイントは僅かだった。

d19690806 米子キハ07213
米子では境港線のキハ07も撮っていた。米子を中心に動いたので、なにかと思い出も多い。

d19690804 丹後山田C58223
丹後山田では加悦鉄道の古典機を撮りに下車した。何気ないホームの情景をもっと撮っておいたら良かったのにと思う。

d19690805 余部D51下り
当時の山陰では余部鉄橋のSLが風景的に魅力的で、ユースホステルに連泊して朝から晩まで撮影した。カメラも技術も未熟だったのは辛い。

d19690808 D50231直方
当時の高校生で撮りたかったのが筑豊のD50だった。大正時代の貨物用大型機で、昭和43年には各地で廃車が進み、最後の4両が筑豊に残っていた。231号機は形式入れプレートが特徴だった。

d19690800 D51惣川俯瞰
夏休みには生瀬行き工臨の回送をよく撮っていた。福知山線でこの運用にD51が使われるのはこの時の秋が最後になった。高台から6X6の二眼レフを使い、サブのカラーがハーフだった。二眼レフの方は失敗している。武庫川の対岸にウイルキンソンの工場がある。これはすでに廃業しているが炭酸水のブランドは残り、アサヒ飲料で今も売られている。写っている場所は西宮市の端っこになるが、立ち位置は宝塚市の桜ヶ丘になる。ここに住んでおられた業界人がいたことを後で知る。

d19690800 阪急4207西宮北口
阪急の貨物用電車。当時は昼間でも時々走っていて、遭遇することもあった。線路わきに資材を落として行ったりしていた。神戸線の本線下りホームから撮っている。

d19691012 吹田D5178
吹田第一機関区の見学会があった。この写真で珍しいのは信号炎管が使われていること。これが燃えているのを見たのはこれが最初で最後だった。割と長い間燃えていた。これも鉄道車両では長期にわたって標準装備だったが、設置は取りやめる方向にあるようだ。

d19720226 竹田キハ58
これは急行「但馬」だろう。左側は超有名観光地がある。この後でC57三重連が走った。