久しぶりに一泊旅行で出雲市へ行ってきた。新大阪から「さくら549号」で岡山へ行き、伯備線の「やくも9号」に乗り換えて米子まで行った。このルートは2年前の年末にも乗っている。381系はもうすぐ引退で、新形式が計画されている。何が来るかと思ったら、国鉄色に戻した編成でJNRマークが付いていた。車内で駅弁を食べて、沿線の風景を楽しんだ。平日だが快晴で、あちこちの撮影ポイントでファンがカメラを構えているのが見えた。懐かしい布原も通過して、車内からも撮影した。ちょうど台車上の座席で、振動も激しいが気分が悪くなる程ではない。
米子は高校一年の山陰旅行で何度も乗り降りした駅である。その後も行く機会は多く、駅の工事中を記録しておきたかった。構内の車両も減っている割には広い敷地と設備が残っている。駅の西側で道路が線路を越えていて、構内を俯瞰できた。扇形庫もまだある。
一通り撮ってから、やくもの自由席で出雲市へ行った。出雲市駅は高架になっていて、南側からは撮りやすいが北側には神社風の大屋根がある。これを撮るには夏の夕方がベストで、それを撮るのが今回の目的である。
まだ時間が早いので、一畑電車で川跡駅まで行って時間を潰し、また戻ってきた。さらに一畑系ホテルにチェックインして時を待つ。日没までピーカンで、何度か撮りなおしてベストの条件で撮れたと思う。さらに夕食だが、駅の近くには居酒屋しかなく、構内の蕎麦屋で割り子そばを食べた。これは神保町で食べたことがあり、上の段から順番に食べる。余った出汁と薬味は次の段に移していく。
せっかくだから最後に残った「サンライズ出雲」を撮りたい。しかし、発車時刻でもまだ明るく、夕暮れの写真にはならなかった。連休前半くらいがいいかなと思う。サンライズを見送ってから、さらに駅舎の夕景を撮って、その日の撮影を終える。
岡山駅のホームにはレールの柱も使われている。それを入れて「やくも」の到着を待っていたら国鉄色が来た。これの折り返しに乗って米子へ行くことになる。
ちょうど止まっていたJR四国の「しおかぜ」も撮っておく。10時ごろなら真横ライトで編成写真は撮れなかった。
備中広瀬駅を通過する。駅舎の横にあった2階建ての建物は無くなっていた。車内からたくさん撮るつもりだったが、撮れる駅は少なかった。
新見から布原へ接近。苦ヶ坂隧道を抜けると西川橋梁を渡る。ここがかつてのD51三重連撮影ポイントだった。駅周辺の撮影地は自然に還っているが、点在する農家は昔から変化が無いように思える。
米子駅前の風景。かつては大きな駅ビルがあった。新駅舎の部分は道路側からは障害物が多くて撮れなかった。
新駅舎はもう外観もできている。2023年8月に南北自由通路と駅工事が完成する予定。その西側に旧駅ビルの一部と新築の米子支社がある。この後ろはだんだん広場でSLのモニュメントがある。山陰地方の鉄道発祥の地でもある。
駅の西側で道路が越えている。歩道から構内が撮れて、扇形庫も残っている。学生時代から知っている駅構内が残っているのは本当に少なくなった。
米子駅の南側に広いヤードがあり、それは今も使われている。除雪用のキヤ143も止まっていた。キハ47の4連が出て行った。
米子駅からは「やくも」の自由席で出雲市駅に移動する。381系の活躍もそう長くはない。
出雲大社の玄関口であり、神社風の駅舎があって、殺風景な高架駅の駅前を飾っている。この建物の上部は何か利用されているのかな。夏の夕方に順光になる。
発車を待つ「サンライズ出雲」。快晴のまま日没を迎え、夕暮れのシーンは撮れなかった。しかし、時間をずらしてチャレンジしたい。
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