先日は鉄道写真の総会があり、久しぶりに上京した。そのついでにどこか行きたいと思い、まだ一度も行ってなかった山万へ行ってきた。行って初めて知ったのだが、それは千葉県の佐倉市にある。そういえば佐倉市在住の会員もいる。総会では岩手県滝沢市の新入会員もいた。総会の後で懇親会もあり、鉄道写真界の重鎮にもお会いできた。もう二度とお会いできないと思っていた人だった。その人の同年代で佐倉市在住のベテランファンとは永らく手紙とメールでの交際が続いていたが、ここ数年は音信が途絶えている。
山万は不動産会社で開発した住宅地の足として新交通システムのユーカリが丘線を開業したのは1982年で、もう40年も走り続けている。
当時は新しい鉄道は全て撮りたかったが、何故かここだけは行っていない。すでに廃止された桃花台新交通や廃止が決まったスカイレールは行っている。
私が就職した頃には、会社で工業新聞を読むと様々な新交通システムが開発されていたのが報道されていた。遊園地や博覧会で実現したものあった。ユーカリが丘線は日本車輌などが開発したVONAで、習志野市の谷津遊園で使われていた。余談だが、当時はほとんどの車両メーカーが実験に加わっていて、阪急の園田~塚口間にある三菱電機の構内にも実験線があった。
ユーカリが丘というのは京成電鉄の駅がある。宅地開発のために開設された請願駅である。1982年11月1日に開場した。その翌日にユーカリが丘線の当駅と中学校駅間が開業した。単線で開業したのだが、1983年9月22日に中学校~公園間の全線が開業した。公園駅から先はループになっていて、時計と逆向きの一方通行になっている。運行ごとに車両の向きが変わる。開業した40年前は通勤電車の冷房化が始まったばかりで、小型の車体では冷房装置を載せる余裕も無かった。夏場は冷えたおしぼりを配ってしのいでいるようだ。車両は1000系の3両編成が3本あり、こあら1~3号の愛称がある。さらに女子大の車庫には移動機もいる。
ユーカリが丘駅の手前に撮影地があり、編成写真だけなら乗らずに撮影できる。駅の周辺も大きなマンションやショッピングセンターがあり、京成電鉄の乗降客は多い。
駅のホームからでもこあら1号の到着が撮れる。
京成電鉄のユーカリが丘駅に隣接してユーカリが丘線の駅がある。
ユーカリが丘駅の改札口。左側の窓口で一日乗車券が買える。
公園駅ては運転士の交代がある。ここからループ線になる。
公園駅の手前にポイントがある。ゴムタイヤ走行の案内軌条式鉄道(AGT)である。
ユーカリが丘駅から公園駅に到着するこあら1号。
女子大駅には車庫があり、タイヤ式の移動機もいる。メーカーは堀川工機だった。薬剤散布にも使われるようだ。実はこの後で昼間の運転を止めて軌道の更新工事が予定されていた。
女子大をでると自然豊富な区間を通る。そこへどうやって行くのかは難しい。せっかく行ったのに曇ってしまい、粘って撮る余裕も無かった。
中学校駅の先は住宅地の間の掘割区間となり、その先にトンネルがある。
伊野駅のホームから、トンネルを抜けてきたこあら1号を撮る。トンネルの高さはギリギリで、とても冷房化は無理である。
住宅地を一周して公園駅に到着する。ここから編成の向きが変わってユーカリが丘駅へ向かう。
最近のテーマはまだ行っていない私鉄や、久しく行っていない線区の再訪で、先日は北陸の私鉄にも乗ってきた。社名の変わった一畑電車にも行っている。まだまだ行きたい所はたくさんある。
またコロナの感染拡大ですね。アクリル板を捨ててませんか。
コメント
コメント一覧 (2)
リニアモータの開発に当たりその性能や挙動を検証しようとすると、どうしても線路とリアクションプレートを敷設して車両として走らせる
必要があり、多大な開発費を投入して建設したものでした。
制御装置の方は、別のゴムタイヤ新交通用VVVF装置として開発したものを、リニアモータ用に制御ソフト等を改造して対応しました。
この車両の最初の起動試験の際には、弊方も設計関係者として車両に乗り込んで感激したものです。
nainen66
が
しました
当時の成果がまだ使われているのは感慨深いものです。
nainen66
が
しました