ゴールデンウイークの旅はまだまだ続くが、ちょっと途中でたまったブログ原稿を挟みたい。今進めているのがフイルムのデジタル化。これまでに大量に撮りためたアナログデータのデジタル化はパソコンを使い始めた2000年頃から始めている。最初はニコンのフイルムスキャナーだったが。これも最初の品質は良かったが、使ううちにピンとか甘くなる。中でゴミが溜まるのではないか。それからフラットベッドスキャナーを使うようになり、3回くらいは使いつぶしている。これでモノクロネガをスキャンしていたのだが、ようやく終了し、今はカラーにかかっている。これは以前に紹介しているがペンタークスのデュープリケーターにマクロレンズ付きのデジカメをセットして複写することになる。
何かと試行錯誤していたが、最近になって満足できる結果が出るようになった。色温度もしっかり調整している。カメラで撮るとAEB設定で露出をシャッター速度1/2ずらして3カット撮れる。さらに一段階の上下も撮れる。絞りは5.6に固定するようにしている。何段階もの露出のデータから最適の露出ばかり合成することになる。だから走行部もきれいに出るし、前面の光っている部分は暗い画像から取ってくる。
画像の大きさもスキャナーだと要求に足りないもの多かった。今フォトライブラリーで要求されるのは解像度300ピクセルで縦横のピクセル数合計6800以上が要求される。
モノクロでは様々な物を撮っていた。しかし、カラーポジではたくさん撮っていても同じ写真が多く、たくさん捨てることになる。さらに絵本写真が多く、単なる列車のアップばかりで、写真としては面白くない。どこで走っているのかわからないような写真ばっかりである。古い写真は撮影データのわからないのがあり厄介だ。1986年からはカット別の記番を付けたが、それ以前は日付印を押すだけで、それも無いのもある。ポジを提出して番号がわからないものある。何らかの番号を付けないとデジタルでは管理できない。反対に行方不明だったポジが発見されることあり、懐かしい。
それでもフイルムで30年くらい撮っているので、たくさんの種類の車両を撮ったことになる。撮ったことも忘れているようなもの多く、新鮮な驚きもある。まずはJRから始め、今は国鉄にかかっている。この作業を続けて行けば大量のフイルムを処分できて身軽になることができる。さらに写真の発表チャンスも増えてくると思う。
日本を代表する鉄道シーンとして絵本用に何度も竹倉へ行った。最終的にはゴールデンウイークの時期ががベストだとわかる。富士富士写真をベストな条件で撮れた。
わが地元の夙川付近、大師踏切のカーブを通過する特急「明星・あかつき」。関西からの九州ブルトレはダイヤ改正の度に減少の方向にあり、併結運転が見られるようになった。その最初がこの列車になる。
クモハ781-2 樽前山をバックに室蘭本線の「ライラック」。北海道向けの特急用として1979年に「いしかり」でデビューした。1980年には室蘭本線もと千歳線が電化して増備され、特急「ライラック」も加わる。
最果てのブルートレインは急行利尻。北海道の夜行列車が14系のブルートレインになった時は嬉しかった。高校時代にあこがれのC55が牽く「利尻」はDD51牽引のブルトレ利尻で蘇る。天気は悪かったけど。国鉄末期からの北海道は撮りたい列車で溢れていた。
石勝線では富良野エクスプレスがANAビックスニーカートレインとして運転されていた。夕方に札幌へ戻っていく。ちょうど牛が牛舎に戻る時間とシンクロしてくれた。
東北本線のブルートレインにもヘッドマークが付き、魅力的な「ゆうづる」も奥中山付近で撮っている。どこで撮ってもアップばかりで、風景はほとんど写っていない。
JR東日本 新潟支社の「アルカディア」。ジョイフルトレインは全国にたくさん走っていたが、全部撮ろうとしていた。せっかくうまく撮れても、早くに無くなったのもある。アルカディアは1987年の4月から運転されたが、1988年3月30日に火災を起こした。
ブルートレインはEF66の牽引になって人気も上がっていた。竹倉鉱泉の風景は日本の鉄道を代表する名シーンである。正月に何度も行ったが、実は5月まで雪景色は撮れる。雨の後に行けば冠雪の可能性が大きい。撮影地も開拓されていて、この時はファンが100人以上来ていた。
身延線の源道寺にもよく行った。ここも富士山バックが撮れる。123系のなかでもクモハ12345は特別な存在だった。三島のブルトレを撮った午後にここで過ごすことも多かった。
隠れた名所として知られていた大山崎駅の窓。ここからは0系の編成写真が撮れた。当時はまだ新幹線を撮るファンはいなかったが、プロにとっては一番の売れ筋だった。
急行だいせんも地味な存在だった。福知山線では夏の早朝にいくつも撮影ポイントが存在した。三田の手前は水鏡が撮れたが、この場所は今も変わっていないと思う。
瀬戸大橋の開通によりブルートレインの「瀬戸」が高松駅を目指す。パンタ付きのラウンジカー オハ25-300を連結していた時が一番の注目編成だった。
JR四国の振り子特急2000系試運転を撮る。繁藤駅での停車を撮っていたら、中から有名写真家のAさんが出てこられた。取材陣が乗っていたのだった。
実は大畑のループでSLを撮ったのはこれだけだった。D51の頃は矢岳駅で降りていた。アソボーイの運転前に運転されたが、土砂降りになったりして散々な結果だった。急行「くまがわ」と交換していた。
JRになってサプライズの一つが非電化の豊肥本線に特急「有明」が乗り入れたこと。特急色のDE10が牽引して水前寺駅まで運転された。国鉄民営化の初期には全国で様々なことが起こっていた。
交通公社「旅」の別冊に採用された磐越西線の虹写真。麦畑の中をサンダル履きで全力疾走したことを覚えている。
JRPS展で発表した名作にもデジタル化でいつでも見られるようになった。米原駅付近と言えば夕焼けの名所としても知られている。ここで一番の好きな100系を記録できたのは嬉しい。
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