足助町の松本建設を訪ねた後は名鉄の西中金駅にも寄っている。ここは三河線の末端部になり、1985年3月14日に電車の運転が終わり、気動車のキハ10形が走っていた。いわゆるレールバスの運転で運行経費の低下を図ったものである。名鉄では八百津線でも使われ、さらに近江鉄道でも2軸車が投入されている。近江鉄道では電車運転に戻った。名鉄線の方はいずれも廃線になっている。構造は簡素なために老朽化が早く、名鉄ではキハ20やキハ30も増備されたが、廃止後はミャンマー国鉄に移り、廃車も早かった。
それから岡崎市のこじま保育園で保存されている元木曽森林鉄道の保存機No76を撮りに行った。酒井製DLで1977年に小島眞吉郎氏によって寄贈されたものとわかる。保育園の名称は人名から来ているのか。そこへ行くのには東京車の後をついて走ったが、カーナビも無い時代によく場所がわかるものだと感心した。
その夜は名古屋のワシントンホテルで宿泊し、そこからの参加者も1人増えて飲み会があった。翌日は岐阜方面が目的地になるが、その前に稲沢の平和汽船へ行っている。しかし、行ってみれば富士重工製移動機は塗装の塗り替え中で下塗りの状態だった。これは保線モーターカーの機関車仕様で形式はTMC300Lである。
未発表の写真はこれだけだった。もっと撮っておけば良かったと思う。2004年4月1日に猿投~西中金間が廃止になる。
こじま保育園で保存されている木曽森林鉄道の車両。中部地方を中心に各地で保存されていて、近くに行けばできるだけ撮るようにしていた。
No76 酒井5トン機。

後部に寄贈者の銘板がある。

平和汽船のTMC300Lは塗替え工事中だった。自重は16トン。昭和石油(昭和シェル石油)の側線で使われていた。
DD511035[亀山] 当時は亀山のDD51も稲沢まで来ていた。
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