「まりも」で釧路に行くと、そのまま茶内まで行き、そこで植民軌道の保存機を撮り、さらに釧路市内の太平洋炭鉱へ行く。

釧路からさらに東の茶内駅まで行った。ここのふるさと公園に簡易軌道の機関車が保存されていた。

気動車の銘板 自走客車とも呼ばれていた。

茶内駅の近くにあるふるさと公園で元浜中町営軌道の機関車は釧路製作所製だった。私が初めて渡道した1972年の春にはまだ走っていた。

気動車はかなりの荒廃で、後に解体されてしまった。今も台車だけは残されている。これが札幌の運輸工業製だったのがわかっている。

当時の茶内駅構内。こんな写真をもっとたくさん撮っておけば良かったと思う。

釧路へ向かうキハ40が到着する。

キハ40-199 キハ40は1977年から大量に製造された両運転台の気動車で100番台は酷寒地仕様である。

太平洋石炭輸送の石炭列車。ロッド式のD101が後部に付く。

D101は1958年日車製54トン機。DD13タイプだが石炭列車用の特殊仕様になっている。石炭列車の春採側に使われた。

両頭式のラッセル車

D701は1977年日車製55トン機。当時はすでに城山線(城山〜東釧路)が廃止されていたが、一般の貨物列車は残っていた。

庫内で整備中のD301。

D401 ホッパー下を通過するので、ラジエターに屋根が付いている。

D201 1986年12月に除籍されている。

春採駅の事務所前を通過するD101。1958年日車製54トン機で、調子が良かったのか長く使われていた。

春採で見つけたバッテリーロコ。モーターの修理工場だろうか。

丘の上から春採駅を俯瞰。

急勾配の連絡線もあった。

歩道橋は後に解体された。

D701の牽く貨物列車もあった。

電気式DLのDE601は1970年日車製55トン機。これが石炭列車の主力として使い続けられていた。

D701とDE601が並ぶ。

釧路からさらに東の茶内駅まで行った。ここのふるさと公園に簡易軌道の機関車が保存されていた。

気動車の銘板 自走客車とも呼ばれていた。

茶内駅の近くにあるふるさと公園で元浜中町営軌道の機関車は釧路製作所製だった。私が初めて渡道した1972年の春にはまだ走っていた。

気動車はかなりの荒廃で、後に解体されてしまった。今も台車だけは残されている。これが札幌の運輸工業製だったのがわかっている。

当時の茶内駅構内。こんな写真をもっとたくさん撮っておけば良かったと思う。

釧路へ向かうキハ40が到着する。

キハ40-199 キハ40は1977年から大量に製造された両運転台の気動車で100番台は酷寒地仕様である。

太平洋石炭輸送の石炭列車。ロッド式のD101が後部に付く。

D101は1958年日車製54トン機。DD13タイプだが石炭列車用の特殊仕様になっている。石炭列車の春採側に使われた。

両頭式のラッセル車

D701は1977年日車製55トン機。当時はすでに城山線(城山〜東釧路)が廃止されていたが、一般の貨物列車は残っていた。

庫内で整備中のD301。

D401 ホッパー下を通過するので、ラジエターに屋根が付いている。

D201 1986年12月に除籍されている。

春採駅の事務所前を通過するD101。1958年日車製54トン機で、調子が良かったのか長く使われていた。

春採で見つけたバッテリーロコ。モーターの修理工場だろうか。

丘の上から春採駅を俯瞰。

急勾配の連絡線もあった。

歩道橋は後に解体された。

D701の牽く貨物列車もあった。

電気式DLのDE601は1970年日車製55トン機。これが石炭列車の主力として使い続けられていた。

D701とDE601が並ぶ。
コメント