色々な事があった1985年。次の1986年はさらに刺激的な一年になる。
まずは夙川駅北側の街並みを撮った後に年末の臨時列車で20系寝台車が走ったのを撮っている。
大晦日には山口線に移動し、その途中で西明石の10トン移動機と水島臨海鉄道を撮っていた。
夙川駅北側の風景。久出ケ谷町の端から相生町と松生町の方を撮っている。苦楽園筋手前の川は後に暗渠となり道路を拡幅している。右端に間島医院があった。
この川を辿って行けば我が家の方になる。右側が久出ケ谷町で左側は雲井町になる。この先の右側に夙川小学校がある。
年末の芦屋駅東方を103系高槻行きが走る。もうすでに通勤時間帯のみの運転になっていた。
EF6229[下関]の牽く上り荷物列車。翌年の9月末には荷物列車も廃止される。
EF651132[吹田] 帰省臨の「明星」では20系寝台車が使われた。
20系客車のテールマークも明星の絵入りになってた。この付近は芦屋市の東端部になり、機関車の先は西宮市になる。
山口線へは国道を通って移動した。西明石駅の上り方には貨物施設がったがすでに使われていない。10トン移動機も残されていて撮影できた。佐藤工業製だった。
こんな貨物ホームがあった。右側の国道2号線に車を止めて撮影できた。
移動機の北側を山陽本線が通っている。電車区は右の方にある。
水島臨海鉄道の車庫は水島駅から倉敷貨物ターミナルに移っていた。元岡山臨港鉄道のDD1352も来ていた。部品取りの後で解体された。
水島臨海鉄道のDD506は日立製50トン機。
倉敷貨物ターミナルは1983年に開業した。川崎製鉄の手前にあり、車両基地も移転した。
庫内にはDE701が入っていた。年末年始に稼働しないのだろう。
川崎製のDD504も休んでいた。
この後国道を走り続けて山口線へ向かう。仁保〜篠目で夜明かしして新年を迎えた。
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