西ノ宮駅の東方には小さな給水塔が残っていた。これは戦時中に建設された武庫川方面への軍事貨物線の遺構である。

戦後も昭和33年ごろまでは米軍が使用していたようだが、詳しいことはわからない。末期はC12が使われていた。その後は貨物線も休止になり、構内の入換えは移動機が使われている。

 中津浜線という道路の陸橋から駐泊所の後が見られ、本線列車を入れて撮影したのは貴重な記録になった。その後は公園として整備され、給水塔も歴史のモニュメントとして残されている。この付近の線路用地はすべて阪神電気鉄道の所有地で、阪神園芸も資材置き場として使用していた。

 国鉄末期の列車撮影はできるだけ場所を変えて撮るようにしていた。摂津本山駅の方でも撮っている。
8601114 EF65118NA
EF65118[稲沢]の牽く下り貨物列車が打出村踏切に接近。

8601115 NA117
打出村踏切を通過する117系の新快速。バックに見える瓦屋根の建物は戦前から存在したが、1995
年の震災で倒壊した。右側のマンションも倒壊した。

8601116 はまかぜNA
キハ181の特急「はまかぜ」も通過。

8601117 EF65514NA
EF65514[沼津]  500番台F型も撮れるようになり、注目していた。大師踏切を通過して夙川のカーブを走る上り貨物。

8601119 廃線跡武庫川貨物
中津浜線から撮った駐泊所跡には給水塔が残っていた。この先も阪神の洲崎まで貨物線があった。遠くに見える甲子園口駅の先で武庫川にそって線路跡も残っていた。最末期には奈良へ行ったC1262がいた記録がある。

8601121 EF651005甲子園口
EF651005[吹田]の牽く下り貨物列車。元宇都宮の機関車も撮れるようになっていた。駐泊所跡地は阪神園芸が使っている。

8601123 EF6624西ノ宮
同じ中津浜線から西側を見る。EF6624[吹田]の牽く上り貨物が通過。左端は住友セメントの側線がある。これも軍用線の遺構になる。

8601126 EF6236西ノ宮
EF6236[下関]の牽く上り荷物列車も通過する。遠方には阪急今津線が越えているが、その手前で名神高速も通っている。住友セメントの側線は昭和35年から使われ、最初は川崎セメントだった。ちょうどその頃からマンションの建設や高速道路・新幹線の工事でセメントの需要が増えていた。

8601131 AM117
下りの117系新快速。まだ内側線を走行している。

8601132EF659AM
EF659の牽く上り貨物列車。線路の北側から撮っている。

8601133 EF651138AM
EF651138[吹田] 12系の上り列車。国鉄末期は車両の移動も多くなり、正確には把握できていないと思う。

8601134 EF6645AM
EF6645[下関]の牽く下り貨物列車。遠景に歩道橋が写っているので場所が特定できる。現在の駅間では甲南山手〜摂津本山間になる。

8601135 EF6214NA
EF6214[下関]の牽く上り荷物列車。





国鉄末期には転属も多く、正確な事はわからずに間違った情報を発信していることもあると思いますが、どうかご勘弁ください。誰かもわからない人からご指摘も受けていますが削除させていただいてます。しかし、コメント非公開のためにメディアからの依頼に対応できるのはありがたいです。