この頃はあまり遠出をせずに大阪付近の撮影を進めていた。岸辺駅では千里丘寄りで北陸から山陽方面の列車を撮影。さらに茨木までに行ったが、サッポロビールの側線に向かいの専売公社から加藤が移っていたのを撮影する。ちょっとしたサプライズだった。
さらに翌日には芦屋の白橋という狭い橋から東海道本線の列車を撮影した。臨時の20系ブルトレや橋桁架設用の操重車回送が見られた。
EF66540[吹田]の牽く下りの貨物列車が芦屋駅を通過。無動回送が付いているので夕方の配給列車のようだ。
岸辺駅を通過した特急「明星・あかつき」は向日町運転所まで回送される。
EF624[下関]の牽く下りの荷物列車。
EF6229[下関]の牽く上りの荷物列車。

20系寝台車に遭遇することもまだ多かったが、その後徐々に引退していった。

20系寝台車が去っていく。昭和30年代に登場し「走るホテル」として憧れの的だったこともあるが、昭和40年代後半にはベッド幅の広い新型客車が登場し、昭和50年代には急行にも使われるようになる。国鉄末期でも多客期には使われて撮影対象になっていた。民営化後も残ったが、1997年頃に引退している。
EF81101[富山二]の牽く「日本海4号」が大阪を目指す。右端には吹田工場の試運転線が写っている。

DD51835[吹田]の単機も通過する。

EF6632[吹田]の牽く下りの貨物列車。

EF65の重連回送が出てきた。吹田機関区から千里丘駅の方へ向かう。
東海道本線の下り線を走る485系「雷鳥」。かつては手前に阪急正雀工場への連絡線があった。
EF81145[長岡]の牽く上り貨物。北陸からの列車は列車番号の偶数奇数が逆になりややこしい。
茨木駅の手前を走る上りの20系寝台車。当時はこのような臨時列車がよく運転されていた。左側に専売公社があり、後にニチイができた。線路の南側はサッポロビールだったが、後に立命館大学ができている。
サッポロビール茨木工場には元専売公社の加藤10トン機が移っていた。
EF651004[吹田]の牽く下り貨物。遠方には芦屋川トンネルが見える。
EF6227[下関]の牽く上り荷物列車。
EF651006[稲沢]の牽く下り貨物。元宇都宮の若番も東海道で見られるようになっていた。
EF651138[吹田]の牽く上りの臨時「明星」20系寝台車。
EF6510[吹田]の牽く上り貨物。
操重車のソ300が通過する。自走もできる事業用貨車で橋桁の架設用に使われる。
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