同業者に頼まれて北近畿へ一泊旅行した。まずは小浜線の松尾寺駅から出ていた日本板硝子の専用線跡へ行った。ここは元々は海軍の施設があり、その軍用線を民間企業が使っていたことになる。沿線には火薬の跡のようなものがあり、初めて撮影できた。廃線跡はサイクリングロードになっていた。
それから中舞鶴駅跡の保存機を撮影。C58113は宮津線の天橋立駅で撮ったことのある機関車だった。西舞鶴側の臨港線は可動橋の西側にまだ線路が残っていた。加悦SL広場にも行っているが、保存機にはあまり興味がなかったようである。銘板のアップを撮っていた。
手押しトロッコのある鉱山があると聞いて出石の方で撮影し、豊岡のホテルで泊まった。翌朝は豊岡運転所の裏側を撮っている。
廃線跡には火薬庫の入り口も残っていた。
廃線跡の沿線に火薬庫跡が確認できた。
日本板硝子の専用線は1975年夏に行っていて、日通の日車35トン機が使われていた。松尾寺駅川には道路併用のトンネルがあった。廃線跡はサイクリングロードになって残っていた。
専用線の橋梁も装飾を加えて使われている。
工場の手前は住宅地になっていた。踏切の跡が残る。
中舞鶴駅跡にはC58113が保存されていた。こちらは東舞鶴駅からの貨物線があり、かつては日本海軍の基地があり、戦後も海上自衛隊と日立造船が使っていた。C58にはランボードに柵ができている。
駅跡の説明板もあった。
舞鶴港では駅の手前に可動橋があり、西側の埠頭に線路が伸びていた。その終端に貯木場があった。手前の線路は残っていた。
舞鶴港のヤードは現役時代から撮っているが、さらに廃止後も新日本フェリーの撮影で何度も通ったことがある。
加悦SL広場では加藤の6.5トン機を撮影。岡山のボブソンにから来ている。トイレの前だったのか。
出石のナロー鉱山を見学する。
坑道の奥に細い線路が伸びていた。
大きな給水塔があるが、まだ使っているのかな。
かつての豊岡機関区でC57やC58のいた時にも入ったことはあるが、こちら側は知らない。
運転所の裏側を撮影。新しい建屋もある。
向こうに止まっているのはセイシェルだった。
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