5000系シリーズの後で登場したのがニューデザインの2200系で、前面の方向幕やワンハンドルの運転台も初めてだった。さらに電機子チョッパの試験車でもあり、後にはVVVFの試験車も追加された。
2200系の完成は1975年3月で、試運転を繰り返し、半年後から運転を開始した。珍しい試作電車で電機子チョッパ制御の試験は1992年に終わり、4連の編成に短縮して、2両編成を加えて今津線で使われた。そして阪神淡路大震災で被災し、先頭車は6000系に編入して神戸線で使われることになる。神戸線の6000系が引退してからも、この6050Fは走り続けたが、それも終わって7000系に編入して今津北線で使われている。
私は電車には電車の知識はほとんどないが、2200系の変遷や改番などはすざましく、とても正確には伝えられない。
今は西宮北口から7030-7150+7090-7605-7505-7190の編成で走っている。この編成は2024年5月に確認しているが外観に小変化があり、西宮北口よりの2連増が7030+に変わった。日中の稼働回数は少ないようである。(通勤時間帯はチェックできていない。)
デビュー前の試運転を撮っていた。前面に方向幕があり、標識等の位置も変わった。運転室が広くなったので、その後部の窓が無くなり、その部分にHマークがついた。
西宮北口駅を発車した高速神戸行き特急。当時はヘッドマーク受けも無かった。
神戸線の電車は今津線の準急にも使われる。これは宝塚までは回送になる。宝塚から梅田行き準急は西宮北口駅には止まらない。
梅田駅を発車した新開地行き特急。当時は阪急の本社ビルが工事中で、1992年10月19日に移転した。
2200系は今津線運用に移る。2251を先頭に宝塚南口行き。当時は宝塚駅の高架工事中で宝塚南口〜宝塚間は単線運転になっていた。
2720はVVVFインバーター車。震災で脱線して電装解除した。
2250 2200系4連になって今津線で使われる。阪神淡路大震災で被災することになる。
阪急 2751はアルナ工機が阪急電鉄に納入した電車で1000両目になり、記念の車内銘板がついていた。その後、6000系編入で6751に改番した。
2200系の先頭車は6000系に編入して神戸線に戻っていた。2001年からは車体上部がアイボリー塗装になった。2015年10月1日から40周年のヘッドマークが付いた。
40周年のヘッドマークは2種類あった。
ヘッドマーク掲出は2016年3月23日まで。
改番して7000系の前後に連結。連結器も変わっている。
2019年7月13日から今津北線にカムバック。
仁川駅付近の墓地から4連部分をサイドから撮れる。
最近の2200編成は相棒が7030+7150に変わった。さらに7090+7605+7505+7190が続く。
方向幕窓が1つになり、LED表示になった。普通表示も出ていたので、切り替わっているのか。
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