北海道から帰ってから、溜まった仕事を片付けてさらにまた九州へ向かった。7月には博多へ行っていたが、今回は「ドリームつはめ」で西鹿児島へ行き、宮崎と大分へと移動した。宮崎といえば駅は高架になって昔の雰囲気は残っていなかった。撮影は南宮崎駅の方が撮りやすかった。
岡山や広島に寄りながら夜には門司駅にいた。EF81409[大分]を撮っていた。EF30の後継機としてEF81を重連化と耐塩害措置の改造で400番台が使われていた。
博多から「ドリームつばめ」で鹿児島へ移動。コンサートがあったのか車内は満席になっていた。
早朝の西鹿児島駅に着いた787系。
クモハ485-102 485系にも改造車が多く、急行型とともにたくさんの改造銘板が撮れた。
485系の特急「きりしま」は宮崎〜西鹿児島間の運転で、かつての「にちりん」から分離され短編成になった。1995年にエル特急として新設されている。
南宮崎駅へ移動。日南線の黄色いキハ40が止まっていた。
南宮崎駅には留置線が多く車両センターになっている。宮崎駅発着の列車は当駅で組成される。写真を撮るならこちらの方が良かった。
ブルートレインの「彗星」編成も中線に止まっていた。
ED7670[大分]の牽く「彗星」は南宮崎初京都行き。
「彗星」は大分までたった4両の短編成でB個室寝台のオハネ15-350を連結している。
宮崎駅へ行くとかつてSLを撮りに行った風景から激変していた。機関区の跡地で呆然とする。
クハ455-607 急行型の改造車も活躍していた。
南宮崎駅に戻って撮影を続ける。特急「きりしま」は宮崎から西鹿児島行きで、延岡〜宮崎間の「ひゅうが」と共に短編成で運用されていた。
キハ40-2104
クモハ475-22 急行型電車もまだたくさん使われていた。
旭化成 D35-1 かつてはバッテリーロコの使われていた専用線だったが、まだ新しい日車35トン機になっていた。大阪の桜島駅で使われていた関西フレートサービスのスイッチャーだった。
岡山や広島に寄りながら夜には門司駅にいた。EF81409[大分]を撮っていた。EF30の後継機としてEF81を重連化と耐塩害措置の改造で400番台が使われていた。
博多から「ドリームつばめ」で鹿児島へ移動。コンサートがあったのか車内は満席になっていた。
早朝の西鹿児島駅に着いた787系。
クモハ485-102 485系にも改造車が多く、急行型とともにたくさんの改造銘板が撮れた。
485系の特急「きりしま」は宮崎〜西鹿児島間の運転で、かつての「にちりん」から分離され短編成になった。1995年にエル特急として新設されている。
南宮崎駅へ移動。日南線の黄色いキハ40が止まっていた。
南宮崎駅には留置線が多く車両センターになっている。宮崎駅発着の列車は当駅で組成される。写真を撮るならこちらの方が良かった。
ブルートレインの「彗星」編成も中線に止まっていた。
ED7670[大分]の牽く「彗星」は南宮崎初京都行き。
「彗星」は大分までたった4両の短編成でB個室寝台のオハネ15-350を連結している。
宮崎駅へ行くとかつてSLを撮りに行った風景から激変していた。機関区の跡地で呆然とする。
クハ455-607 急行型の改造車も活躍していた。
南宮崎駅に戻って撮影を続ける。特急「きりしま」は宮崎から西鹿児島行きで、延岡〜宮崎間の「ひゅうが」と共に短編成で運用されていた。
キハ40-2104
クモハ475-22 急行型電車もまだたくさん使われていた。
旭化成 D35-1 かつてはバッテリーロコの使われていた専用線だったが、まだ新しい日車35トン機になっていた。大阪の桜島駅で使われていた関西フレートサービスのスイッチャーだった。
コメント