別府駅から津久見駅までだが、撮っている駅は少ない。大分駅から北側は2007年の3月と8月に電車の車内から撮っているのが多い。その時の記憶がないのだが、時々駅舎も撮っているし、途中下車しながら移動したのだろうか。
大分付近はそれ以外にも特急に乗って訪ねたことがあり、移動機やホーバークラフトを取材している。臼杵といえば有名な石仏を撮りに行ったことがある。頭部が落下したのを撮っているが、その後復元されて、そのレプリカが駅前にできていた。専用線では津久見には何度も行っていた。今から思えば非常に不便な所になるが、ナローと電気機関区の走る専用線をとっている。
別府駅には最近も行っていた。フェリーさんふらわあで行った時に、ここから特急に乗った。
別府駅の構内は中間の待避線が剥がされていた。
かつての別府駅構内。別府駅は明治44年開設で、昭和41年には高架化が完成している。たくさんの観光客を迎える駅になっていた。
東別府駅を発車した815系の上り電車。
東別府駅は浜脇駅として明治44年に開設された。昭和9年現駅名に改称した。
西大分駅は明治44年開業で、古い木造駅舎が残っている。駅舎の表側はすでに発表している。
上りの885系ソニックが通過する。
西大分駅は貨物扱いがあり、コンテナヤードがある。かつては大分港へ貨物線もあった。20トン移動機が使われていたが、今はDB500が使われている。
大分駅の旧駅ビルは高架化の完成後に解体されて、新駅ビルの工事が始まった。
地上時代の大分駅構内。その北側で高架工事が進められている。
懐かしい地上時代の大分駅構内。この時は豊肥・久大本線の高架が完成していた。
日豊本線の地上ホームで並ぶ「ソニック」と「にちりん」。
高架ホームから発車するキハ185系「ゆふ」。
2008年8月24日に豊肥・久大本線の高架工事が完成していた。
鶴崎駅といえば大きな石油基地があり、1976年からスイッチャーを撮りに行っているが、訪問回数は少なかった。
幸崎駅は大正3年に開業で、その時は日豊本線の終点だった。所在地は神崎だったが、すでに佐賀県に神埼駅があったために少し変えて幸崎駅になった。大分駅から当駅をすぎると普通列車の運転は半分くらいに減ってしまう。日鉱佐賀関製錬所に向けて佐賀関鉄道があったが、昭和38年に廃止された。そこで使われたDLは秋田県の白沢駅に移ったのは撮影している。釈迦内鉱山の側線で使われたため、762ミリゲージからサブロクに改軌されていた。
昭和42年に当駅までの電化が完成した。大分行きの特急が電車化されたのはこの時からである。SLの転属でC51→C55→C57の変化も発生した。
臼杵駅は大正4年に開設された。駅舎は昭和56年にできたコンクリート製。
臼杵駅の構内。昭和49年に南宮崎駅までの電化が完成した。
臼杵といえば石仏群が有名で昭和27年に国の特別史跡となり。平成7年国宝になった。古園石仏群の大日如来像は頭部が落下している状態で撮影したことがある。その後復元され、そのレプリカが駅前で展示されている。
津久見といえば石灰鉱山の街で、初めて訪ねたの1976年であり日鉄鉱業のナローゲージを撮っていた。さらにサブロクの電化鉄道がある大分鉱業には何度も行っている。太平洋セメントは大きすぎて撮影対象にはならなかった。伊勢正三の出身地であり「なごり雪」は当駅の情景から生まれ、接近メロディーに使用されている。
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