宗谷本線も音威子府を過ぎるといよいよ最北の地へと近づいてくる。沿線の人口はどんどん減っていき、廃止になった駅も多い。
途中で思い出があるのは豊富駅で日曹炭鉱天塩鉱業所へは駅から沿岸バスで行き、4桁ナンバーの9600型を撮影した。さらに幌延では公園に保存されていた問寒別線の機関車を撮りに行ったことがある。さらに抜海〜南稚内間に利尻岳の見える名撮影地があるが、一度だけ行って急行利尻を撮影している。天気は曇っていて、景色は見えなかったが、貴重なDD51牽引の夜行列車を撮影できた。
その後、稚内に行ったのはカーフェリーの撮影が目的で、その為に行くことができたのはラッキーだった。
天塩中川駅は大正11年に誉平「ぽんぴら」駅として開設され、昭和26年に改称されている。駅舎は昭和28年建設で、2014年には昔の雰囲気に改装されている。
天塩中川駅の駅前風景。
問寒別駅は貨車利用の寂しい駅だが、かつては町営軌道も分離する駅だった。その貨車の駅舎も最近は外観がリニューアルされている。
駅の付近には市街地もあるが、こんなに寂しい所だとは思わなかった。
幌延駅は幌延町の中心駅で、かつては羽幌線が分岐していた。大正14年に開業している。駅舎は昭和48年に竣工している。
幌延駅の構内も昔から変化がない。
急行「利尻」で早朝の幌延駅に到着した。この時は行き先サボの撮影を予定していたが、残念ながら何もついていなかった。赤い車両はお座敷車増結である。
豊富駅は大正15年に開業。豊富温泉は珍しい化石海水によるモール泉である。それよりも日曹天塩炭鉱の9600型を目当てに尋ねたことがある。駅舎は昭和41年に建設。
駅を撮っていると沿岸バスが到着した。沿線の交通はほとんどがバスに頼っている。
豊富駅の構内。ここで1972年に乗り降りしている。9600の貨物が止まっていて、C55の客レが到着した。
徳満駅は大正15年に開業し、かつては貨物も扱っていた。乗降客の減少で棒線駅になり、2021年に廃止された。
兜沼駅は大正13年に開業で、近くにある沼の形から命名された。かつては木造駅舎があったが1988年に小さな駅舎に改築されている。
兜沼駅の構内。ホームの端に簡素な構内踏切がある。
勇知駅は1985年から貨車利用の駅舎だったが、2014年に外観がリニューアルされて美しくなった。構内もかつては相対式ホームがあったが、棒線駅になって、廃線跡は自然に戻っている。
棒線駅だが遠くの方のSカーブを見ると、交換駅だったことがわかる。
南稚内駅は初代の稚内駅で大正11年に開業した。稚内港にまで延伸して昭和14年南稚内駅に改称した。こちらに機関区もあった。駅舎は昭和52年に建築で、こちらが市街地の中心に近い。市役所は稚内駅の方にある。
南稚内駅の構内は初めて降りた時から変化がない。この駅でC55の牽く客車列車を撮影した。こちらの街は歩いたこともない。
稚内駅は昭和3年に稚内港駅として開業し、昭和14年に改称した。最北端の駅で、離島航路も出ている。駅舎は2012年に改築されて随分イメージが変わった。旧駅舎の方は再開発ビルになっている。
かつての稚内駅構内。左側に駅舎があった。今は突き当たりに駅の入り口があり、その先に最北端の車止めがあるという変なことになっている。
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