この頃の写真はすでに発表しているが、まだ抜けていたのがあった。翌年には山陽新幹線が博多まで開通し、山陽本線の列車が激減するが、その前のブルトレイン増発があり、大阪駅でも撮っていた。特にしんがりの「あかつき7号」は唯一残っていた20系寝台車使用で、これが一番注目されていた。

 帰省臨ではまだ座席の臨時急行も運転されていて、客車も使われていた。そんな列車も当時はほとんど注目されていなかったと思う。
7422317 雷鳥大阪
北陸特急の「雷鳥」が入線。この頃は全席指定である。

7422320 あかつき大阪
九州ブルトレインの最終便は20系寝台車の「あかつき7号」。

7422321 あかつき
長崎発のB寝台。かつてはあこがれの寝台車だったが、すでに特急用としては最古参だった。寝台幅の広い新型客車が普及していた。

7422322 EF58172大阪
11番線に年末の帰省臨が到着する。昼行の客車急行の「立山51号」で富山方面へ向かう。

7422327 EF58172大阪
「あかつき7号」の牽引機は広島のEF58116で、ヘッドマークは付いていない事もあった。

7422330 立山サボ大阪
急行立山のサボ。これも全席指定席である。