この頃の写真はすでに発表しているが、まだ抜けていたのがあった。翌年には山陽新幹線が博多まで開通し、山陽本線の列車が激減するが、その前のブルトレイン増発があり、大阪駅でも撮っていた。特にしんがりの「あかつき7号」は唯一残っていた20系寝台車使用で、これが一番注目されていた。
帰省臨ではまだ座席の臨時急行も運転されていて、客車も使われていた。そんな列車も当時はほとんど注目されていなかったと思う。
北陸特急の「雷鳥」が入線。この頃は全席指定である。
九州ブルトレインの最終便は20系寝台車の「あかつき7号」。
長崎発のB寝台。かつてはあこがれの寝台車だったが、すでに特急用としては最古参だった。寝台幅の広い新型客車が普及していた。
11番線に年末の帰省臨が到着する。昼行の客車急行の「立山51号」で富山方面へ向かう。
「あかつき7号」の牽引機は広島のEF58116で、ヘッドマークは付いていない事もあった。
急行立山のサボ。これも全席指定席である。
コメント
コメント一覧 (1)
2枚目、EF58P形と20系の連結ではMR管の連結状態が良く判り参考になりました。
116号機は、第一期20系対応(電源車制御)に加え、晩年対応(AREB)の両方が施工されたカマだったんですね。
nainen66
が
しました