加古川線の歴史は播州鉄道と播丹鉄道から始まる。加古川水系での舟運を代替する目的で、沿線に大きな町は無く、加古川~谷川間の他に三木・北条・鍛冶屋の支線があった。
線路規格は低くて、C12が貨物輸送に使われていたが、川沿いの平坦線でもありSLブームの頃でも訪ねた人は少ないと思う。無煙化後は多種の気動車が走るローカル線として興味深かった。阪神間から近いローカル線として乗り鉄にも人気があったと思う。
私も自分のマイカーを持つようになってから、徐々に訪問回数が増えていった。しかし、沿線の風景に変化は少なく、あまり撮影地を気にせずに撮っていた。
加古川駅で控え車を介して入換え中のC12167。これは九州へ向かう急行列車の車窓から撮影している。167号機は加古川線の無煙化後は奈良や九州で使われ、保存されたのだが、現在は若桜鉄道で動態?保存されている。
加古川駅の西側には車両基地がある。当時は加古川線管理所である。車窓から撮っていた写真だが、このような施設の写真も貴重である。小さく写っているSLのナンバーはC12230だった。
この日は京都~大阪間でC571の記念列車が走り、死亡事故の翌日である。加古川線の貨物輸送は撮ったことがなかった。
ずらりと並んだ気動車。加古川線と高砂線の運用を受け持つ。
福知山線に行った時に谷川駅から分岐する加古川線に初めて訪れた。
鍛冶屋線の列車。キハユニ15を先頭に走ってきた。これを車でチェイスする。
粟生駅の南側で万願寺川の鉄橋を渡る。
車で追いかけて撮ったキハユニ15。小野町駅に停車中に先回りしている。
北条線の列車。キハ20で塗装は新旧混結である。
コメント
コメント一覧 (5)
私が商用で加古川に行っていた時期は加古川駅は地上駅で、加古川線の気動車が光線状態のいい場所
に停車していました。当時、写真なんて余裕はありませんでした。
nainen66
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大勢のD51に囲まれ、奈良のマスコットみたいな存在でした。
関西本線無煙化後は九州へ旅立ち
現在は若桜鉄道ですから異例の長生きですね。
nainen66
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nainen66
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写真7枚目の万願寺川橋梁での撮影後、 列車の小野町駅停車中に先回りしたのではないかと思われます。
c12167は、加古川時代の動画がYouTubeに上がっていました。旧加美町中央公民館保存時代末期には、正面のNo.プレートがありませんでした。
岩堀さんのブログその1の2017年2月19日の記事(アサヒビール西宮工場)で、凸形加藤についてコメントしておりますので、宜しければ御笑覧下さい。
nainen66
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にぶろく様 もしや機関車の履歴にお詳しいのでしょうか。先日も京都でその筋の人と会っていましたが、履歴にかんしんのある人は少ないと嘆いてます。167号は若桜鉄道にも撮りに行きました。
kumoha60様 加古川線については全く縁もなく、SL時代にも興味は薄かったです。地上時代の加古川駅はよく知っています。電化しても沿線の景色はあまり変わっていません。
あるある出版様 いろいろ教えていただきありがとうございます。早速訂正しておきました。西宮の加藤凸形も気になります。
nainen66
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