かつてはよく利用した大垣夜行を継承した「ムーンライトながら」がいよいよ運転を終るようである。調べてみると大垣夜行で14回、「ムーンライトながら」は4回利用した記録がある。
私は高校時代にこの列車を利用することはなかった。大学に入学前から貧乏旅行でよく使うようになったが、夏休み等はよく混んでいたのを覚えている。
料金制度が変わってグリーン車が300円で利用できるようになると、グリーン車ばかりに乗るようになり、下り列車の場合は東京駅で早くから待ったものである。
上りに乗ると、東北本線や常磐線に乗り継いで、いい時間帯に目的地に着いた。下りの場合は豊橋で下りて飯田線を撮影したりした。
急行形の165系が永らく使われたが、民営化後は1996年にJR東海の373系特急車が使われるようになり、指定券を買って乗ることになる。
上り列車に乗るときは深夜の大垣から乗るので、時間調整で草津のカメラマンと飲み屋で付合ってもらったが、少しずつ人数が増えて、「ながら会」と呼んでいた。しかし、373系になってからは乗る機会も減っていた。「ムーンライトながら」の廃止は2007年で、以後は臨時扱いで存続した。使用形式にも変化があったが、もうほとんど知らない。
東京が目的地になることが多く、夜行バスの3列シートを使うようになった。さらに時間を有効に使うのに、昼間の普通で進み、大森のカプセルホテルに泊まることも多くなる。その時は静岡駅で夕食にし、373系の普通で上京する。これだと安くて、名古屋で撮影時間がある。
救済臨や定期が廃止後のムーンライトは知らない。もともとは混む季節にはほとんど乗らなかったから。話しは逆だが、青春切符で姫路から岡山へ行くのに、急に人がいっぱいになり、これは救済臨からの乗り継ぎ客だと聞いた事がある。イナゴの大群みたいに押し寄せてくる。
2001年からデジカメでヘッドマークやサボを撮りだしたので、「ムーンライトながら」も撮影対象になった。関西では117系がまだまだ活躍しているが、特急形の185系が先に無くなるようである。夜行列車に改造とか考えられなかったのだろうか。
国鉄時代の硬券でも乗っている。この時は足尾合宿に行くときに使った。グリーン車も乗り換えで使っていた。
JRになってからも165系が使われ、グリーン車もあったが、料金は高くなっている。
大垣駅で発車直前の「ムーンライトながら」。特急用373系だが、これで寝るのはきつかった。
眠れぬ夜を過ごし、早朝の東京駅に到着。この後は銀の鈴へ移動する。
ヘッドマークコレクションもある。水滴が付いているのだろうか。
救済臨は東日本の波動用車両が使われた。様々な編成が使われたようだが、関西人には縁がなかった。尾張一宮駅に止まっていた。
これは183系。臨時の「ムーンライトながら」が早朝の名古屋駅に到着する。
これを撮るために名古屋で泊まった。方向幕の記録も過去の物になってしまった。
JR西日本では117系改造の夜行列車を復活させている。これで自由席の定期列車になればさらにいいのだが。
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