関西の国電では一番早かった片町線では、まだたくさんの旧型車が使われていて、当時は機関車ファンだったが、片町線の電車も撮りにいっている。クモハ31を追って電化区間の端になる長尾駅まで行き、津田駅まで歩いた。津田駅には給水塔が残っていたが、ここも軍事側線があり、その遺構が確認できた。
その先の非電化区間にはそれ程興味は無く、木津駅で撮ったくらいである。
片町線の歴史は浪速鉄道と関西鉄道から始まって、1909年に国有化された。名阪間の本線として機能した期間もあった。その前後には複雑な線路変更もあり、興味は尽きない。

昔の放出駅。大阪市鶴見区にある。ここのすぐ先は東大阪市になる。おおさか東線の開業に向けて長い間工事が続き、2002年には橋上駅になる。

貨物ヤードの端にあった木造の信号扱い所。下を見るとポイントを動かすロッドがたくさん並んでいる。

信号扱い所の裏側。張り出している部分はトイレかな。

放出駅の東側を城東貨物線のDD51が走る。手前が第二寝屋川である。

城東貨物線が第二寝屋川を渡った所に電留線の分岐がある。その後、淀川電車区放出派出所になる。

放出の電留線で休んでいたクモハ31。片町線の旧型国電は1977年3月まで使われた。

津田駅の構内。かつては陸軍中宮演習場(禁野火薬庫)への引き込み線があった。

ホーム端には荷物輸送のための建屋がある。

津田駅の給水塔。片町線の蒸機運転は1972年3/15までである。

長尾駅の津田寄り。当時は構内で工事が進められていた。長尾~四条畷間の複線化完成は1979年10/1で、その時に藤坂駅と東寝屋川駅が開業する。

キハ11 38の長尾行き。キハ35が連結されている。
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つだ・なおき様 貴重な情報をありがとうございました。葛葉へ行くのに津田駅から運ぶというのは日通の作業が楽だったからでしょうか。離れていてもどちらも枚方市とは気がつきませんでした。あの頃は各地で保存機の輸送があったと思いますが、情報は少ないです。私には同名のバス停がありました。
nainen66
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