相変わらず地元の列車や各種乗り物を追っていた。この当時のカメラはオリンパスの一眼レフ OM-1でカラーはコダクロームの時代である。OM-1はコンパクトで高性能というカメラだが消耗が早く3台くらい使って、キヤノンに移行した。
この頃は仲間を集めて海水浴が恒例になっていて、この年は鳥取の羽合温泉へ行った。その途中で東津山や西倉吉に行っている。さらに倉吉の専用線(神鋼機器)にも行ったが、障害物が多くてまともに撮れなかった。恐らくニチユの8トン機である。
桜島線にはまだ101系が使われていた。それをこの日はペンタ6×7で撮影した。この形式もいつの間にか103系に変わっていた。
桜島線の可動橋も新しくなっている。これを撮っている道路橋も可動橋だった。
何度も行った東神戸港でフェリーを少しだけ撮影。ここは阪神の深江駅から海側へ行った所で、当時は一日中カーフェリーが発着していた。。徳島航路のおとめ丸が到着。
川崎重工 兵庫工場 北門では北海道向けの781系が甲種輸送を待っていた。北海道の電車特急は485-1500番台が「いしかり」に使われたが、冬季の低温やPCB問題で、北海道の専用車が開発されて1980年からは量産車が登場した。
福知山線新線のトンネル工事も1カットのみ撮影。この時は中国自動車道の高速バスを撮りに行った。
海水浴へ行く途中の寄り道。津山~東津山だと思う。姫新線の気動車もキハ20を先頭に長編成である。
上の気動車の後部はキハ47である。踏切と腕木信号機がある。その右側は貨物側線。住友セメントもあった。
倉吉線の西倉吉の移動機は協三の10トンでロッド式だった。ここも何度か行った駅で、打吹駅付近にはC1175が保存されていた。倉吉線の廃止は1985年である。
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