いよいよ来年は北海道へ初めてSLを撮りに行ってから50年になる。北海道は無煙化後も何度も行き続けているし、滞在日数はかなり多いと思う。その都度いろいろと被写体は変化しているが、独特の風景の中で走る列車はいつも魅力的だった。
夏前になるといろいろな鉄道雑誌や旅行雑誌で北海道特集が組まれていたが、最近はそれも減ってきたかなという感じである。
これからしばらくはこのブログで北海道50年の軌跡を辿ってみたい。
初めて訪ねたのは高校を卒業した時で、すでに有名なC62重連急行は終わっていた。さらにC62の牽く普通列車は残っていたが、情報が得られずに撮影は出来なかった。雑誌で知る炭鉱鉄道の外国製SLもほとんど引退していた。それでも全道各線で国鉄SLは走っていたし、炭鉱鉄道もいくつかは撮影できた。
当時の北海道では希少形式よりも雄大な自然の中を走る走行写真の撮影ポイントにファンが集まっていた。そして、最後の19形式でまだ撮っていなかったD61を深川で撮影できた。
SLが去っても北海道は相変わらず魅力的だった。キハ183の登場で特急の本数も増加した。この当時はまだDD51なんか無視されていたと思う。
北海道に入ると最初に行くのが大沼。ここでD52が活躍していたが、それ程たくさん撮れなかったのが残念だった。
知識で知っていた日本一長い直線区間。これは撮っておきたいと無理やり山登りした。ここの写真はあまり見たことがない。競馬で有名な社台ファームが見える。
当時のハイライトは常紋越えの貨物列車。信号場で降りたバラバラのファンが一緒にトンネルを歩いて撮りに行った。
SLブーム時代に最後の19形式を撮るのが夢だった。高校生で九州まで行きたくさんの形式が撮影できたが、最後に残ったのが留萌本線のD61だった。D51に二軸従台車で軸重を分配し下級線区に入線できる予定だったが、実際にはD51と共通運用だった。
北海道各地の機関区はどこも活気に満ちていた。そんなシーンを撮影できた時代でもあった。
一生で忘れられない出来事は夕張駅のクリスマス。ここで国鉄最後のSL本線列車発車を見送った。
一時は北海道内のブルトレブームがあった。いまでは考えられない出来事だった。まさか客車急行「まりも」が撮れるとは想像もできなかった。
北海道の専用線にもたくさん行っている。旧国鉄のDD13も払い下げられて石油側線の入換えに使われていた。
いよいよ満願成就。たった二回で。
コメント
コメント一覧 (7)
「今、岩堀が北海道にSLを撮りに行っています。」と店主の方と談笑していたのを、横で聞いたのを思い出しました。
私は私鉄電車ばかり追っ掛けていたし、北海道は遠くて、結局、SL廃止後にしか渡道出来なかったのが残念でした。
nainen66
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良く遊んでもらった。」と言うのですが、そんな記憶は無く、もしかして思い違いかも知れません。
少し芦屋寄りに当時あった中村商店の西側の筋向い辺りに住んでいました。
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北海道に上陸しました。今回は江差(檜山)と函館(渡島)が目的で、鉄道関係では五稜郭駅のホームからEH800と
DF200を撮影したのと、函館市電を少しといったところです。EH800の撮影は初めてでしたが車体の汚さ(汚れ)には
北海道の、青函トンネルの厳しさを感じました。
nainen66
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西のEF58やナローの散歩道の頃から愛読させて頂いております。
小学生の時に親の転勤について行った札幌で最後のSLに辛うじて間に合った世代ですが、私も西宮の生まれ(深谷町にも4年ほど住んでいました)で、子供の頃何となく線路端で眺めていた光景や帰省でよく乗ったジャンボフェリーなど見たかったシーンが沢山あり、いつもブログを楽しませて頂いております。
今後ともよろしくお願いいたします。
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